雑誌とわたしと疑似体験と

駅からの家までの帰り道、駅前のコンビニや商店街の一本となりにある小さなコンビニで飲み物や惣菜を買うとき、「あ。」と表紙と目があってなかなか離せなくなる雑誌を買うことが多い。そのとき手に取る雑誌によって、こころがいま何を欲しがっているのか、がわかるような気がする。
今日も一冊お持ち帰りしてしまった。

こころが落ち着かないときはHanakoやオズマガジン、リンネル、ナチュリラ等を読む。とにかくナチュラルなものに触れたくなるの。おしゃれしてみようかな、というときはFUDGEやSweet、vikka、NYLON、GINZA、、ん〜わりとなんでも読む。着る着ないは別として、目を通すのはたのしい。

違う世代や若者について勉強したいな〜てときはviviやnon-no、LARME、mer、古着ミックスなど。
文字が読みたい…なにかおもしろい文章に触れたい…という気分の時はanan、ar、占いもの。

ギャルっぽいものとコンサバ系はあまり手に取らないかも。合う合わないは別として誌面がデザインがイラストがおもしろいなぁという観点でみている。わたしはたぶん(というか絶対)サブカルチャー寄りだし、世間とはズレていることも多いと思うからそれを取り戻しにいくために読む。

何より雑誌って眺めているのが好きだ。ライターさんには怒られてしまうかもしれないけど、文字を追うことよりも写真やレイアウト、飾られたイラストを眺めてることがおおい。文字さえもデザインの一部で、エッセンスになっている。きちんと読みたい…!と惹きつけられるページは文字を追う作業をする。すると、その商品についてだったり風景について事細かに表現された言葉たちが溢れてくる。それで満たされるんだ。

小説を読んだり、映画を見ることは、人生の疑似体験をしているんだよ、と聞くけど雑誌もそうなんじゃないかなぁと思う。雑誌という存在をもっと身近に感じている人もいるかもしれないけど、わたしの場合、雑誌はななめ上の存在かもしれない。
わたしが手にすることのないような生活、ファッション、小物を紹介してくれている。それを見て、わたしは心が満たされる。間違った使い方なのだろうけど、街角スナップとかで撮られてる人たちをどこか遠目から見てる自分がいる。

「表参道あたりにいるいるこんなお洒落なひと。」
「あーかわいいなぁ。」
「髪型から服装まで素晴らしい完成具合だ。ショップ店員だから全身揃えられてるんじゃないのかなぁ」

「″わたしには到底できないなぁ″」  …とこんな感じです。

言葉にしてみると女を諦めてる感じがしますね。泣ける。
(僻んでるんじゃなくて諦めてるんだよ)

でもこれってギャル?っぽい雑誌みてても同じ気持ち。
SLYとかマウジーとかわたしが到底似合いそうもない服をスラッと長い脚でバシッと決めて、目の周りが驚くほど黒いのにやぼったい厚化粧に感じさせない、垢抜けた女性たち。そんな人を見て「すごいなーカッコいいなー」と心から尊敬するし、同時にわたしにはできないなーと思う。

だから、まるでその人たちの生活をのぞき見てるような疑似体験が楽しくてわたしは雑誌を眺めるんだとおもう。

わたしは雑誌が好きだ。
さて、今日はどんな雑誌と目を合わせ、お持ち帰りするんだろうか。
胸を弾ませて本屋へとくり出すことにしよう。




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2013-11-29